ネックスレスが絡んだ時

お客様からネックレスが絡んだのがなかなか、ほどけないというご連絡がありました。

その絡んだネックレスをリーディングしていくと、何やら絡んだことがあるのかと思いがちですよね?

そんな風に思うより、まったく予想外なことでした。

嫌なことに手を付けていないという意味がありました。棚上げしていることがあるぞという知らせでした。

まったく思いつかないというクライアントさんでした。

リーディングを続けていくと、仕事のことと分かってきます。でも、これじゃ何のことかわかりません。
ピンポイントにしないとなりません。

次に育てなさいというサインです。これを伝えると
「新人を育てないといけない事に思い当たります。」とお答えになります。

できない人はもういいやという気持ちで、できる人に仕事をしてもらうという風に考えていたそうです。
できない人をちゃんと育てないとご本人が移動するとき、残された人たちの状態がよくないとしたら、
次の担当の方に迷惑がかかります。

育てるというのは時間もかかるので大変です。

それでネックレスが絡んだという事がわかってから、もう一度何度やってもほどけなかった
ネックレスなのに、頭にそのことを考えながらやったら、ほどけたそうです。

ご本人も鎖がほどけた~と大喜びでした。理由がわかるとほどけるのかもしれませんね。

普段の生活でも、ちゃんと警告があり、ヒントがあるものですね。
リーディングができるようになると、そんな日常の出来事の知らせの意味が分かってきます。

ご興味がある方は3月17日1day 説明会をします。
リーディング、セルフヒーリング、ハンドヒーリング、からだの声翻訳家の体験をしていただけます。
好評だった親子対談いたします。
子と孫に対する気持ちの違いなど、子育てについて会話をしていきたいと思います。

子育ての迷いなどありましたら、infoアットマークasna.jp
までご連絡ください。この時にお話しできたらと思います。

ゆとり世代を作ったのは親の時代

ゆとり世代の娘と話していくうちに、気が付くことが多い。

「何かあればゆとり世代だから仕方ないという。1人のために全員にさせられる」

いや、そのひとくくりで済んでしまうと言いたいのだろう。

よく考えれば、本人たちはそのゆとり時代の被害者だ。
ゆとりを作ったの時代の教育者、政治家たちがいる。その人たちを当選させた私たちがいる。

その結果、何かあれば「ゆとり世代の子供たち」だと困った若者という代名詞にして自分たちが作った社会の責任から逃げていく。

実は長男、長女がその真っただ中の子供たちです。

娘が 「そう育てた親がいるんだよ」 という。その通りだ。

すぐ挫折する。すぐ切れるなどと言われる。ゆとりと何の関係もないかもしれない・・・
私は心を育てることをしてこない日本の教育に問題があるような気がします。

ゆとりある教育を良しとしたのはその当時の大人たちだ。

今の若者はその被害者なのに悪者にされている?そんな気持ちになってくる。

頑張ろうとしても、親の心が育っていなければ、すぐ諦めることを教えているのかもしれない。
いやなら止めていいよ。
こんなことを言っていたら、頑張ることもやめてしまうように思います。

諦めないで、最後までやってみなさいという事を誰が教えているのだろうか?
学校は最後まで一人ひとり面倒なんて見ていられない。

いやならやめなさい。を教える親・・・・・・・・・・・・我慢できるわけがない。
先生に怒られるよ。・・・・・・・・・・・・悪いことをしたら親が叱るのではなくて、怖い人がいるよと教える。
叱らないで褒めて育てていく。・・・・・・・・・・・褒められないとふてくされ、やらなくなる。おだてられなきゃ面白くない。

偉い先生の本を読んで・・・誰かが言っていたから、やったという。・・・・・・・・・・・自分がそうしたいと選んだという事を忘れている。

そうやって自分が良しとしてそれを選んだんだという責任がどこにもないから、子供は責任感が育たないのであって、ゆとり時代のせいにして、また自分たちの責任から逃れていく。

被害者なのは今の若者達であって、そうやって育てたのは当時の親たちだといいたい。

嫌ならやめなさいと教えたのは幼い頃から言っている親の言葉じゃないだろうか?

食事にしても、好き嫌いを許し、友達も嫌なら遊ばないようにしないさいと言い、学校も行きたくないのなら、休んでいいんだよと教えていく。体調が少しでも悪ければ、休んでいいよ。友達や先輩やコーチが嫌いだから辞めていいよ。

会社に就職して我慢ができないのも当たり前だ。これでもゆとりのせいと言えるのだろうか?

今年は空海さんのご縁?

来月室戸岬に行ってきます。
どうしても、行きたいと思います。空海さんが洞窟で修行していた場所です。

私が初めて空海さんと話をした場所です。リーディングですけど。

私には煩悩があるから数珠を持ちなさいというメッセージです。数珠は一つ一つ煩悩を綺麗にする意味があるようです。

Aさん 指がでていますが、腕が前に出ていません。腕を前に出さないと目的のものは掴めません。

Bさん 落ちるのが怖いといって安全で楽な道を横歩きしています。そこから降りなさい。自ら下の道を歩きなさい。

Cさん 今の足場の場所から出ないという事をしないで、今の足場を広げるように片足だけでも一歩を踏み出しなさい。

皆さん、心に染み入る言葉だったようです。

不思議な体験

昨日から和歌山へ今さっき帰ってきました。

ずっとこの二日間不思議な体験ばかりしています。偶然だよと言われたらその通りなんですけどね。

まず、朝、新横浜に行かねば・・・愚息の運転で、渋滞で、絶体絶命の時間です。
車から降りたのが4分前。100m位走り続けます。階段もあるし、人は沢山いるし。

でも、間に合いました。奇跡だと思います。ドアが開くと同時にホームに着いたのですから。
少しでも諦めたら、間に合わなかったと思います。

それからというもの、もう無理か?と思う事ばかり、しかし、すべてOKでした。

レンタカーを借りて移動です。
24時間借りたのですが、目的は高野山のふもとの神社です。

大きな神社に行ってから、耳が痛い。引っ張られている感じです。違うこっちだと言われて引っ張られているかのよう。
えええ? あっちにもある。とまた移動。私は空海さんが大好きなので、空海さんの姿がリーディングで見える事があります。

柳沢神社で空海さんはこの山の向こう側に居ますよと言われ、行ってみると高野山の神社を見つけることができました。

夕方ギリギリでした。

翌日今度は奈良へ行くぞーーーということでしたが、急遽変更、なぜなら、空海さんから数珠を持ちなさいと言われました。
どこで買うの? 私仏教徒じゃないし・・・

高野山なら売っているというじゃないですか・・・行くか、13時にレンタカーを返せばいいんだし、行けるな。それから奈良へ行くぞ~。

予定では11時半に金剛峯寺を出ればいいと思っていたのですが、着いたら、「ささ、中へ」と空海さん言われ、お寺ではすごいものだらけで感動するものばかりでした。12時に金剛峯寺を出ることに、間に合わない。17分オーバーとナビが表示。

そしてなんとなんと、1分前にレンタカー屋さんに到着です。すごいぞ~。

それから、またまた、奇跡。

奈良に行きました。帰り道、電車を乗り間違えます。「そっちへ行きなさいという事なんだよ」と、思い直して回り道していくことに。
予定より10分遅れで京都駅到着のスマホ検索結果。

しかし、乗り換えの駅で急行に乗れてなんと最初の予定の時間より15分も早く京都駅に到着しました。

何から何まで、2日間、奇跡の連続でした。

愛されたい

愛すことより愛されたいと思う人

女性は愛されているほうが幸せと誰が言い始めたことなのでしょうか。

この言葉に私は惑わされて生きてきたから失敗を重ねてきたのだと思います。

この愛される方が幸せの人にも2パターンあります。
愛されるように生きていく人
こんな事をしても嫌わないと確認しながら生きていく人

愛されように生きていく人の生き方は「この人」(ご主人、恋人)に嫌われないように生きていきます。
自分の生も「この人」無しには考えられないわけで、「この人」に愛されるように生きていきます。

すべてがその人優先です。自分よりその人。子供よりその人。もちろん他人よりその人です。
だってその人に嫌われたり、その人が不機嫌になることが一番悲しいし、一番つらい。
これが自分の愛してと信じて生きていきます。

でもよくよく考えてください。愛されたいから愛するをしているんです。見返りを求めた愛といえないですか?

嫌われたら大変、文句言われたら大変、だってその人がすべてだから、その人しか見えていない。
周りのことなんてお構いなし。その人が笑っている方法しか考えられないから。大げさかもしれませんが、女性は結構やってます。
愛されていく手段だもの、その人から優しくされなくなったら大変ですもの。
だから子供や他人は振り回されます。

もう片方は愛されているか不安型です。
まるで試しているかのように意地悪をしながら、相手が許してくれるか試します。
愛されていたら許してくれると思い込んでいるからです。

いつか嫌われるかもしれないと考えない人です。だって「許してくれる」が愛の証だから。

この天邪鬼が大変で、相手はいい加減に「もう無理」という気持ちが遅かれ早かれ沸き起こります。
そんな気持ちになっているなんて他人のことを思いやれませんから、相手から離れていきます。

私の場合は後者に近いですが、いい加減しろよとなったのは私の方なので、似た者同士だったのでしょう。
主人は全者でした。愛されるために一生懸命になるのですが、私が後者なので、見返りがもらえないとわかったとたん、豹変します。

好きな人と結婚するって素敵なことですが、前者になりやすい。男女ともに言えますね。
そういう人のお子さんは問題になりやすい。親を愛してくれる事を子供に要求しているからです。

自分はこんなに「この人」のために生きている。あなたも「この人と私」のために生きなさいを教えていくからです。
「こうして生きなさい」の命令が子供の気持ちを押しつぶしていることに親たちはわからない。

それを躾と錯覚しています。

お母さんがしっかりしないとお子さんはお母さんと同じ姿勢になります。子供は親の鏡だから。
お母さんの姿が影響するのは、幼い頃から始まります。

父親よりしっかりしないとお子さんは愛を間違えて生きていく事になります。
私も愛を間違えて生きてきたと思います。そしてそれを教えてきてしまいました。

長男も長女もそうだったのだと思います。次女は間に合ったと思いたいです。まだわからないですが。

愛することは心が自立しています。「この人」が全てとなるのではなく、公平に考えて俯瞰して生きていきます。

俯瞰するには高い位置に行かないとなりません。「この人」に愛されるようにと生きていくという事は、その人にしがみついているわけですから、俯瞰できるわけがなく、しがみつくのに必死になってしまいます。

愛する本当の姿は「愛してく」を公平にみんなにできる人です。「この人」だけにしている姿にはなりません。

「この人」が何らかの形で居なくなったら・・・今度は子供にしがみつくのでしょうか?

大人が子供の見本になっています。子供に自立してほしいのなら、まずは、自分が愛されたいから自立しましょう。
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