言葉の裏
「でもね」という言葉はすれ違いをしてしまう事が分かりました。
第三者の人にこれだけ傷つけられたというご相談が何件も続きました。
そのお話を聞きながら、誤解だと思うけど・・・と言う意味で「でもね」とつい、言葉が出てしまう。
本人もきっと心のどこかで分かっている。分かっているけど、そんな事は重大じゃないんですよね。
誤解を解く事よりも、もっと深い所がある。「私の事を分かって欲しい」です。
心の叫びをどう伝えたらいいのか分からないという事なのでしょう。
色々な不満を述べてみてもご自身でも「そこじゃない、何か違う」と思っているという事は私にも伝わります。
その不満が今の悩みの原因じゃない。
「愛されていない、だから・・・」
それが原因だったりします。
「でもね」つい言いたくなります。
事実はそんな事無いよと伝えたところで「驚いた、ほんとその通り」で決着しないこともあります。
「傷付いたのよね」という言葉でクライアントは頷きます。
その傷をどう癒して良いのか分からないから来ているのかもしれない。
小さな世界に入り込んでしまった人は、出たくなくなります。
それが引きこもりという心理に繋がるのでしょう。
心が小さな囲いの中にいるんです。だから、行動もそうしたくなる。
自分の中に入り込んでしまう。ドンドン自分の世界になる。自分で癒すのも限界になります。
そしてどうして良いのか分からなくなる。
「どうして欲しい」というのも伝えているのに、相手のよかれと思う事の方が優先になってしまい、
自分のして欲しい事をして貰えないから傷付いています。
理由は、「愛がないから」と位置づけています。
そして、自分はこんなに好きだから、苦しい。愛されたいから、苦しい。望まれていないのではないかと
認めるのが辛い。
自分で癒そうとしているのに考える事は否定なっていくから、益々「孤立」していまうようです。
こうなっているときは相手の言い訳なんて、耳に入りませんね。
話側も耳に入らないものなんだと分かって話を進めていくのと、理由を話せば和解できると信じて話するのとでは、
説明の仕方も変わります。
喧嘩の切っ掛けも同じです。
その不満は全て「愛されていないと思う」が裏にある。
その言い訳を伝えたところで、「愛されていない」は消えません。
だから、「そこまで傷つけていたなんて知らなかった。ごめんね。君の事をもっと分かろうとするよ。どうしてほしい?」
優しい言葉とかじゃなくて、分かってくれた伝えて認めてくれたという事が重要ですね。
傷付いた事を知らせた事で、伝えれば分かってくれるを経験していきます。
こんな経験で誤解が自然に解けて「愛」を認めて行く事もできるのかもしれません
「でもね」は励ましの言葉のつもりでも、言い訳を知りたがっていない人にとっては、
突き落とされる言葉だったりするのです。
例え、誤解で、真実が別であっても、伝え方は最新の注意が必要なのだと思いました。

いつもありがとうございます!
第三者の人にこれだけ傷つけられたというご相談が何件も続きました。
そのお話を聞きながら、誤解だと思うけど・・・と言う意味で「でもね」とつい、言葉が出てしまう。
本人もきっと心のどこかで分かっている。分かっているけど、そんな事は重大じゃないんですよね。
誤解を解く事よりも、もっと深い所がある。「私の事を分かって欲しい」です。
心の叫びをどう伝えたらいいのか分からないという事なのでしょう。
色々な不満を述べてみてもご自身でも「そこじゃない、何か違う」と思っているという事は私にも伝わります。
その不満が今の悩みの原因じゃない。
「愛されていない、だから・・・」
それが原因だったりします。
「でもね」つい言いたくなります。
事実はそんな事無いよと伝えたところで「驚いた、ほんとその通り」で決着しないこともあります。
「傷付いたのよね」という言葉でクライアントは頷きます。
その傷をどう癒して良いのか分からないから来ているのかもしれない。
小さな世界に入り込んでしまった人は、出たくなくなります。
それが引きこもりという心理に繋がるのでしょう。
心が小さな囲いの中にいるんです。だから、行動もそうしたくなる。
自分の中に入り込んでしまう。ドンドン自分の世界になる。自分で癒すのも限界になります。
そしてどうして良いのか分からなくなる。
「どうして欲しい」というのも伝えているのに、相手のよかれと思う事の方が優先になってしまい、
自分のして欲しい事をして貰えないから傷付いています。
理由は、「愛がないから」と位置づけています。
そして、自分はこんなに好きだから、苦しい。愛されたいから、苦しい。望まれていないのではないかと
認めるのが辛い。
自分で癒そうとしているのに考える事は否定なっていくから、益々「孤立」していまうようです。
こうなっているときは相手の言い訳なんて、耳に入りませんね。
話側も耳に入らないものなんだと分かって話を進めていくのと、理由を話せば和解できると信じて話するのとでは、
説明の仕方も変わります。
喧嘩の切っ掛けも同じです。
その不満は全て「愛されていないと思う」が裏にある。
その言い訳を伝えたところで、「愛されていない」は消えません。
だから、「そこまで傷つけていたなんて知らなかった。ごめんね。君の事をもっと分かろうとするよ。どうしてほしい?」
優しい言葉とかじゃなくて、分かってくれた伝えて認めてくれたという事が重要ですね。
傷付いた事を知らせた事で、伝えれば分かってくれるを経験していきます。
こんな経験で誤解が自然に解けて「愛」を認めて行く事もできるのかもしれません
「でもね」は励ましの言葉のつもりでも、言い訳を知りたがっていない人にとっては、
突き落とされる言葉だったりするのです。
例え、誤解で、真実が別であっても、伝え方は最新の注意が必要なのだと思いました。


