許すこと、許させること
- 2008/04/16(Wed) -
今日はこのことについて書かなければならないような気配です。←なんの気配だ^^;

許すこと。受け止めるということ、受け止めた手をそっと持ち上げるような気持になります。
許すとは、もともと、上からの立場の言葉なのかもしれません。
「許してあげる」という行為そのものが、浮かんでしまいます。

愛と許すは違います。

愛しているから許すのではなくて、愛しているから許せないこともあります。

でも愛があれば、待つ事ができます。寄り添うことが出来ます。分かり合える様に
話し合いができます。そして相手の心の痛みを理解することで、深まる愛があります。

そこに押し付けや、喧嘩になるのなら、それは大変残念ですね。愛が育ちません。
喧嘩は大嫌いです。



どうでしょう?許す、許さないで愛を量るのは?それが愛だと思えないのですがね?

許されること、感謝の気持が浮かびます。

できることなら、その感謝に応えようと努力したいですね。二度と同じ過ちをしないと。
許されたということに感謝があれば、同じことは二度としないものだとおもいます。


でも、私はひねくれているのでしょうか?
許されたと思う側の気持もどこか、ずるいような気がしてしまいます。
許されたことへの感謝ってその場だけの様な気がしてならないです。
許してくれることに甘えて、また、同じ事をすると何故か感じてしまうのです。

また、許してくれると・・・思っていると感じてしまうのです。

だから、直らないと。
そんなことの繰り返しって事になりがちです。振り返ってみてもそうだもの^^;

許す事は理解したことにならないですし、分かり合えた事にならないです。
話し合いが出来きて始めて、分かり合え、信じあえ、深まるんです。
それが出来なければ、愛は育ちません。


誤解が生まれたら、許すではなくて、理解しあうよう時間をかけることのように思います。
話し合い、ふれあい、育てる愛があるのだと思います。
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どん底
- 2008/04/01(Tue) -
窮地に追い込まれたり、絶望感になったり、辛い時、死にたいと想う事もあるかもしれません。

どうしてそういう人生なんだろう、もう一度やり直したいと・・・

自分の選択の失敗だとしても、神様が最初から予定していたものと私は思います。

乗り越えなければならない人生の勉強だと思います。

ただ、神様が支配できないのは、感情。

どん底で、辛いよ、辛いよと騒ぐ時間が長ければ、長いほど不幸ですね。

この時「あとは、登るだけだと思うか、この辛さはいつまで続くんだ?と
嘆いているか」で乗り越える辛さは全く違うような気がします。

後は登るだけと思えば、その上り口を探す強い心になるでしょう。でも、辛いよと
泣いていれば、思考も行動も継続だけです。

「これも神が予定していた通り」とした試練の道だとしたら、受け止めるしかないでしょう。
ここから逃げたら、また、同じことが違う形で起こります。

抵抗も、もがきなら、それも不幸ですね。

だから、出口があるはず、その出口を通らなければ、次の階段には登れない」
そう考えて生きています。

相手がいるのなら、相手が変わるのを期待するのではなくて、自分が変わるしかありません。

私は「相手は変わらない」といつも思っています。
気持の上で乗り越えていくようにしています。

「我慢するか、卒業するか」ですね
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見返り
- 2008/03/15(Sat) -
ご挨拶に神社へ毎朝通っていますが、
その場所で同じ時間帯なので同じ人とすれ違います。

「おはようございます」
と声をいつも掛けていますが、一度も返って来たことがありません。

気分悪くなるものだと思います。

でも、これは見返りを求めているから気分悪くなるんですよね。
挨拶してくれないことに腹が立つわけですから、

挨拶してくれなくても特に何も感じない・・・これが見返りを求めていない心でしょう。

挨拶が出来ない人は、心の扉をとじている人です。
閉じるだけの何かがあるのでしょう。自分が扉を開ける役目でもないし、そっとしておきましょう。

人の悪口もそうかもしれませんね。
自分の思い通りに相手がしてくれないから、腹が立つんです。

悪口は見返りがないからという心の発端だと思うと、相手の愛を求めていたということですかね?
となれば、悪口いうこと事態、相手の事を愛しているからこそ、愛されたいという現われでしょうか。

悪く言われるほど、愛されていることになるのかな?
愛がなければ、無関心でいられますからね。
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思いやり
- 2008/01/17(Thu) -
心の器が見えてきます。

薄くて直ぐ破けそうな器です。その中に水が満ちています。
満たされているというのはこういう状態なんですね。

思いやりとは、薄い器にホースをさし込んで心の潤いの水を差し水します。
器に差し込んで相手の水を感じ取る必要があるのでしょう。

そして、冷たかったり、水が満たされていないと思えば、自分の心の水を相手の
器の中へと水を足していきます。
暖かい気持にさせてくれるということなのでしょう。

その代わり、自分の器の水を与えあげるのですから,水は減ります。
水は愛ですね。
自分の水を犠牲にして与え、相手を満たしてあげるんです。
奉仕ということなのかもれません。見返りのホースはみえません。
これが思いやるということのようです。

しかし、相手がその満たされたことで喜びの笑顔を見せてくれたら、
逆に自分に差し水が入り、満たされます。

愛し合う、思いやる心の形のような気がします。

逆にその器に差し込んで水を逃がすホースもあるようです。穴があく。
傷つくということのようです。
思いやりがないとこういう傷だけが増えていきます。
傷が増えれば、水も早く減ります。不満になるのね。
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嫌い
- 2008/01/10(Thu) -
リーディングしていくと、ピラミッドの様な形が見えてきます。
四面体なのか、ピラミッドなのかは定かではありませんが、
多分、これが、好感という感情だと言うたとえの様な気がします。

嫌いという感情について教えてくださいと見ていくと、

一枚の三角の面の色が変化してきます。
そして辺の部分の角が欠けてきます。嫌という文字が浮かびます。
そして、また、深く抉れて来ます。嫌という気持ちが浮かびます。

こうやって嫌が重なるんだ・・・少しづつ抉れて好感という気持ちが少なくなるのね。

なるほど・・・この好感が消えてきて、嫌になるんだ・・・・。
嫌が積み重なるんじゃなくて好感が消えるんですね。

そう、謝られても、好感は増えない・・・同情が湧くだけなのかもしれない。
そうやってやり直したり、2人が続くのかもしれないなぁ。

何度同じ事をするんだと、思えては嫌になっていく。そういうものなのかもしれません。

男性は好きなら嫌な部分を知っても、好意という気持ちに変化をしていくことが
少ないのかもしれない。

嫌という度合いにもよりますね。それとも人によるのかな?

原因を作る側は、繰り返したら「終わりだ」という思考より、「許す」甘えを期待しているのかな?
私なら「好きでいられない」になるか・・・

だって原因があるから結果があるのよね?


ブログの許可を取っています。
クライアントさんのある男性をリーディングして「どうして、そんなに怒るのかわからない」
と言っている。「好きと俺の癖とは別問題だろう」という考え方。

「こういう俺も俺には変わりないから、俺全体を好きなら、嫌いになるという気持ちが理解できない」となる。

しかし、クライアントさんは「なんで繰り返すの?また、したら嫌われるとなんで思わないの?」

「自分なら嫌いにならないから、その感情がわからない」とお相手の気持ち。

「えええ?解らないのが解らない」とクライアントさん。



彼女の言い訳は「私の事を想っているなら、同じ事を繰り返さないでしょう?あんなに
怒った過去があるのだから、怒らせないようにしよう、嫌われないようにしようと
反省してしないもんでしょう?」

彼の言い訳「だって病気だもん。性格だもん。許してよ。俺を好きなんでしょう?」
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