感謝を込めて
- 2007/02/17(Sat) -
救われるという気持ちは、一生のうちにそう何度もないですよね。

国際的な募金をするのも悪いとはいいませんが、私なんか淀んだ人間ですから、そんなのよりも、隣の困った人の事に興味持てと思う人間なんです。



丁度1ヶ月前です。書こうか随分迷いましたが、感謝を込めて
書こうと思います。

賃貸を探して、保証人も探していました。

私は一人っ子なので、保証人になる人がいません。
親しくしている人にお願いするしかない・・・

学生時代から交流している人に半年振りくらいで連絡してみました。

「解った。家賃なんでしょう?払えないといっても数十万円がいいところでしょう?必要な書類とかあるなら、また連絡して」

家賃が幾らともいつからなのとも、何も聞かずに承諾してくれたんです。

正直、救われた気持ちでした。私を信頼してくれたこともですが、根掘り葉掘り尋ねられなかったことも幸いでした。何故かそれだけで満足してしまったんです。もう、いい。これだけでいいって。

賃貸を断りました。実は今も探してはいるんですけどね(^^)

お間違いの無いように、お金に困っているからではありませんよ。

保証人になってくれたという気持ちに満足したんです。
友人という立場で「いいよ」といってくれただけで、それまでの色々な想いも浄化してくれた・・・それでいい。本当に救われたんです。

「ありがとう。賃貸は今回断ることにしました」
「そう、いい勉強になったでしょう」
「うん。そう思う。保証人を承諾してくれたそれだけで感謝するわ」
「私のところへ来るくらいだから、そうとう困っているんだろうと思ったの。人間模様も見てきたんでしょう?人生勉強だね。わかっただけでもよかったんじゃないの?目安になるでしょう?」

まるで私の心を見透かしたかのようでした・・・何も訊かないのに、
何も話していないのに。

助けるってこういう事を言うのだと想うのです。
飢餓に困っている人を無視するということをいっているのではありません。

本当の意味の優しさはそういう募金で計るのではなくて、いつでも、人を救う機会はあるのだと思います。

全ての保証人になれなんて言ってませんよ。
その人の度量もあるとおもいますし、数十万円も持っていないのに、保証人になられてもこちらも困るわけで・・・

ただ、困っていることに真剣に受け止めて、自分の度量を含めて対応してこそ、本当の意味の救いだと思います。

おなじ断るのでも、「助けてあげたいけど」という気持ちがはいっているのか、入っていないのかでも相当違いますからね。
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