- 2007/05/05(Sat) -
今日は神社へ朝お参りに行くとき、何かいつもと違う気持ちになっていました。
きっと何か解ることがある・・・

そして境内にはいると、大きな木が何本か生えています。

今まで気付かなかった木に気付きます・・・ああ、私はいつもあっちばかり見ていて、こっちの木に気が付かなかったんだこんなに近いところで神の息がかかっているのに・・・


私は違う角度でものを見るということをしなければならないのかもしれない・・・

氏神様に手を合わせて「愛しなさい・・・その愛とはなんですか?」と尋ねることにしました。

「お前ならどうやって愛す?その生身の身体でどうする?」と
聞き返されながら、何故か血管が脈を打つ映像が見えてきます。

「私が自分で出来ると思う愛し方しかできません」

「そうだ、自分で精一杯だと思うことしかできない。愛は無限だから、自分が精一杯と想うところが、個々の限界である。お前は自分を超えて愛することができるとしても、それは無限ではない。無限は対象がない。
その無限の愛に向かっているとき、自分の事を考えていない。自分という対象を越えたとか、超えないといった事に拘ることが、もう愛の無限から遠い。
愛は小さいとか、大きいとか量れるものでもない。対象を作って愛を量るから苦しくなって進めなくなる。
そして、出来ないことをしてまで愛することは愛ではない。愛したくなるから愛なのだ」

・・・そうですね。私は傲慢ですね。

愛は何もかも乗り越えて無限なんでしょうね。
なんて自分が小さいんだろ^^;

やっと何か抜け出た感じがします。庭に水をまいたら虹がかかりました。浄化の虹・・・水・・・洗い流してくれているのかもしれない。
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