死ぬほど好き
- 2007/11/20(Tue) -
死ぬほど好きなら「好き」と言ったら死んでしまう。

私は何故かずっとそう思っていました。

そのくらい好きということ。言葉にしたら嘘になりそうで。

でも、本当に好きなら、死ぬほど好きなら、死んでもいい程
好きなんだと思います。

この人に与えて死ねるならと思えたとき、少しでも喜んでくれると思えるなら、
自分の死をも越えて「好き」と言う時なんでしょうね。

命乞いしているのなら、まだ、自分が可愛いからでしょう。

だから今は死ぬほど好きは「好き」と伝えることと思っています。
死を覚悟して・・・と。

こんな重大な話になる方が不自然だけど。
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押し付ける愛
- 2007/11/20(Tue) -
与える愛と押し付ける愛も紙一重である。

相手が要求していないものを与えて、与えた本人は満足している。
自己満足。

与えられたことを喜んでいるのか、嫌がっているのかの反応も
見抜けないで、愛だと錯覚している。

相手が何処を見ているのか、相手が何を望んでいるのか、
どうして欲しいのか、それすらも知らない。
解らなければ質問すればいいことも思いつけない。
私は頭のいい人、悪い人をここで判断する。


相手の望むものを叶えてあげようとするのが、与える愛なのに、
自分の条件に相手を当てはめて、自分の想いに
酔いしれて、愛し合っていると思い込んでいる。

我慢しているのに、本当は嫌なのに・・・
喜んでいるように見えるのだろうか?

大抵は、喜んでいるようにみせないと機嫌がいきなり悪くなる。
感謝されないと、ふてくされる。

自己中心の愛は我慢比べ。

喜んでいる振りをすることが愛になるのかと、自問自答していく。

違うと想って伝えれば、相手は思い通りにならないことに捨て台詞。
売り言葉に買い言葉。そんなやり取りに育む愛などない。

自分の愛に喜んでくれない方が悪いのか?
思い通りに反応しない相手が悪いのか?

これを押し付けているといわないのか?
自己中心の愛は何処までも、基準は自分。

思い通りの反応がなければ、機嫌損ね、相手にとって一番
されたくない行動にでる。
帰る、やめた、キャンセル。

相手を困らせることを目的となる態度に変わる。
人の話など聞く耳も持たない。


自分が出来ているともいえないが、
相手の求めている事を必死になって探って、こんなことしか
出来ない自分に悔しくなるそんなひざまづくような愛でいたい。

そこまで愛したつもりの人はいたが・・・
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