不自由と自由
とても良い例の自由についての話がありました。
ある夫婦の物語です。簡単なあらすじを書きます。
寝たきりの妻がいます。
窓の外の景色しか見えません。四季の移り変わりは小さな窓の中だけ。
いつか外に出て見たいので夫に外に連れて行って下さいとお願いをします。
すると夫は「100回、心を込めてご主人様は神様ですと言いなさい」
結局夫に良しと言われず、夕方になってしまい、連れて行って貰えませんでした。
それでもどうしてもともう一度夫にお願いします。
すると今度は「この間は悪かった。お前の為に言ったんだよ。あの時連れ出していったら、脚がないお前は
惨めな思いをするだろうと予想したからだ。いいか、忘れるな、お前は居るだけで私を不幸にしているんだ。
お前のようなのは足手まといなんだ、不幸そうな哀れな顔をしていてくれたら、私は少しは同情してやろう」
と言って妻をおぶいます。
海岸へ連れて行って貰い、一人になった妻は
「私は迷惑な存在なのだから哀れな気持ちで生きていかなければ、気をつけよう」と心に思います。
その時、歩いて来た女の子達に、海の中で泳ぎましょうと誘われます。
「私は脚がありません。泳げません」
というと、女の子達は
「変な事をいいますね。脚があるじゃないですか」
といいます。そして海で泳いでいました。
夫にこの出来事を話すと、「頭が変になったのか?ならば立って歩いてみよ」と言われます。
やはり歩けません。
妻は頭が変になったと思いました。
病院で見てもらうと、「あなたは今歩いてこの病院へきたんです。脚に気がつかないなんて随分うっかりしていますね。」
夫にこのことを話すと「じゃ、この場で立ってごらん」・・・やはり立てません。
寝たきりの妻は外からあの女の子達の声を聞いて外に出ます。
そして海辺で遊びました。
その中の一人が「私ずっと透明人間だと思い込んで居たのよ」と話します。
やはり夫に「お前は透明人間だから危ないから、誰とも話は出来ないし、気付いて貰えない。
一人で外に出てはいけないよ。哀れっぽくしていてさえくれれば、僕が面倒をみるよ」と教えられていたそうです。
妻は自分と同じ人と思いました。
「いつ、透明人間ではないかと気付いたの?」と訊ねたら、
その人は「私は透明人間ではないと気付いたんではなくて、今でもどうなんだろうとは思います。
でも、そんなこと、どっでもいいんです。自分一人で海にも行けるし、
楽しいくお友達とお話も出来ているのですから」
そして妻も気がつきました
「もう、他人から見て、自分の脚がないのか、あるのか、なんてどうでもいい、
夫に頼らずとも自分の意志で動く事が出来る」と言うことに気がついて生まれ変わりました。
他人からどう思われるという事に囚われていると不自由になるんですね。
自分の心を潰して良い人にならないと誰かに捨てられると思い込む恐怖。
そんなことはどうでもいい。そう思えたら、自由がそこにあるんです。

いつもありがとうございます!
ある夫婦の物語です。簡単なあらすじを書きます。
寝たきりの妻がいます。
窓の外の景色しか見えません。四季の移り変わりは小さな窓の中だけ。
いつか外に出て見たいので夫に外に連れて行って下さいとお願いをします。
すると夫は「100回、心を込めてご主人様は神様ですと言いなさい」
結局夫に良しと言われず、夕方になってしまい、連れて行って貰えませんでした。
それでもどうしてもともう一度夫にお願いします。
すると今度は「この間は悪かった。お前の為に言ったんだよ。あの時連れ出していったら、脚がないお前は
惨めな思いをするだろうと予想したからだ。いいか、忘れるな、お前は居るだけで私を不幸にしているんだ。
お前のようなのは足手まといなんだ、不幸そうな哀れな顔をしていてくれたら、私は少しは同情してやろう」
と言って妻をおぶいます。
海岸へ連れて行って貰い、一人になった妻は
「私は迷惑な存在なのだから哀れな気持ちで生きていかなければ、気をつけよう」と心に思います。
その時、歩いて来た女の子達に、海の中で泳ぎましょうと誘われます。
「私は脚がありません。泳げません」
というと、女の子達は
「変な事をいいますね。脚があるじゃないですか」
といいます。そして海で泳いでいました。
夫にこの出来事を話すと、「頭が変になったのか?ならば立って歩いてみよ」と言われます。
やはり歩けません。
妻は頭が変になったと思いました。
病院で見てもらうと、「あなたは今歩いてこの病院へきたんです。脚に気がつかないなんて随分うっかりしていますね。」
夫にこのことを話すと「じゃ、この場で立ってごらん」・・・やはり立てません。
寝たきりの妻は外からあの女の子達の声を聞いて外に出ます。
そして海辺で遊びました。
その中の一人が「私ずっと透明人間だと思い込んで居たのよ」と話します。
やはり夫に「お前は透明人間だから危ないから、誰とも話は出来ないし、気付いて貰えない。
一人で外に出てはいけないよ。哀れっぽくしていてさえくれれば、僕が面倒をみるよ」と教えられていたそうです。
妻は自分と同じ人と思いました。
「いつ、透明人間ではないかと気付いたの?」と訊ねたら、
その人は「私は透明人間ではないと気付いたんではなくて、今でもどうなんだろうとは思います。
でも、そんなこと、どっでもいいんです。自分一人で海にも行けるし、
楽しいくお友達とお話も出来ているのですから」
そして妻も気がつきました
「もう、他人から見て、自分の脚がないのか、あるのか、なんてどうでもいい、
夫に頼らずとも自分の意志で動く事が出来る」と言うことに気がついて生まれ変わりました。
他人からどう思われるという事に囚われていると不自由になるんですね。
自分の心を潰して良い人にならないと誰かに捨てられると思い込む恐怖。
そんなことはどうでもいい。そう思えたら、自由がそこにあるんです。


