勘を信じる?
それがそもそも思い込みという事に気が付いていない人が沢山います。
私は自分で疑いやすいところがあるのに、人がいいのか、バカなのか、詐欺にあいやすい。
見抜けない。
しかし、逆に私は他人に対して、なぜ他人のことは「信じてはいけない」という事が分かるのに
自分のことは思い込みとわからないんだろうと思うときがあります。
そう、私と真逆。
霊感もその一つに近い。
凄く自分の勘は間違いないと言い切る人がいる。その自信はどこから来るんだろう?
私の前世をわかったように話す人がいる。そして私を霊感があるとまた言い切る。
その自信はどこから来るんだろう?
生徒さんも同じです。リーディングは霊感ではできません。きっぱり。
感じる部分のセンサーが違う。だから、見た目とか、雰囲気とか、言動やしぐさで
決定していません。
霊感がある人は自分は今まで外したことがないのに、リーディングになると悉く砕かれ
木端微塵にされます。
当たらない。
だから、つまらなくなる。楽しく感じなくなる。練習していても、あと少しという部分で
挫折したくなる。
そりゃ、そう。今までの自信は思い込みから来ていることが大半で、その思い込みが
当たっていると思っていただけ、いや、当たっていたかもしれないけど、否定するだけの
材料がたまたまなかっただけ。
リーディングは答え合わせがあります。
霊感は答え合わせがありません。
思い込みを話すだけでも、通用している場合が多い。勿論ちゃんとした霊感を持っている人も
いると思います。
私の知っている方も霊感があって困っている人もいます。
霊感は霊という心ですよね、魂です。言い換えれば、精神です。その精神は不安定であり、一定とは限らない
感情の世界です。昨日まで大嫌いだったのに今日になって大好きになる。大変化する感情の力です
リーディングはその不安定を避けて、とても客観的な立場にたって俯瞰します。
自分の思い込みをすべて消さない限り失敗します。
思い込みをしてしまう自分に気が付く人は、リーディングができるようになります。
こうならないように気を付けようと常に自分の思い込みとの戦いをしていきます。
見てみてその努力は大変なもので、よくついてきてくれると感心します。
それはきっと神様も見ている。そこまでずっと頑張る人にリーディングができるようになってほしい。
謙虚な気持ちの人は自分の思い込みを消し去ることに努力しています。
こう思いたくなる、こう感じたくなる。この気持ちは誰の気持ち?自分?それとも?
本当にそれでいいの?思い込みじゃないの?自分でそう思いたくなっているんじゃないの?
自分で決めていない場合は、余計な言葉をくっつけていません。とても単純で、とてもシンプル。
でも、自分で思い込みの感情が入ってくると、余計な言葉がいっぱい入ってきます。
そこまで言っている?噂話の尾ひれじゃないんだから、余計な話は思い込み。
それを避けるために、常に「確認したの?」と聞いています。
自分の思い込みを消す作業です。これをしていく手間が本当に大変。できない人はできない。
確認という行為を霊感で見る人は多分していません。感じるままがすべて。
それは思い込みじゃないだろうか?と疑ったことはあるのだろうか?
私はリーディング中、常に疑っている。私の見ているのは本当なんだろうか?と。
それでも、腑に落ちる。何せ論理的だから。矛盾を感じない。
猫のリーディングもそう。多分霊感の人は下記のように感じる人は少ないと思います。
私は猫のエネルギーは裏切る、反逆するチャンスを狙うような、信じられないエネルギーを
感じます。
私ネコも犬も好きなんです。特にネコには思い出もあります。でも、その感情に流されてリーディングしたら
それはリーディングではありません。
自分の気持ちと切り離してこそ、本当のリーディングだと思います。
リーディングが終わってから、「猫を被る」ということわざがあると後から思い出します。
まさしくリーディング通りのこと。昔の人は本当にリーディングができたんだとつくづく感じます。
そして常に人を信じる前にリーディングしろと注意を受けている私です。


