目が覚めた
本人がモラハラの被害者だということに気づけないモラハラがあります。
相手の思い通りに操作させている被害者は相手から愛されていると錯覚してしまうのです。
言葉の暴力
それは、自由を失うことです。
私のほうが酷いことをしていると思わせてくる。
そして家族や親せきを相手の味方につけ、私対モラハラグループにしてくる。
そして、どんなに抵抗しても、間違っているのは私であり、おかしいのは私であり、
正しいのは相手で、親戚中全員が相手が正しいと言わせる。
なぜって、こちらの自由はわがままになり、こんなにしたいことができなくて不自由でも、
私には味方がおらず、その不自由は当たり前だと言われ、どんどん奴隷化していく。
そして、相手にとって不都合な私が「変になってしまった」と、「戻ってきてほしいと縋る」
子羊のようになって、こんなに弱弱しい子羊に知らん顔して、「見捨てられるのか?」
と、相手にとって冷たい私に同情を売る。
そして、モラハラの被害者は相手に酷いことをしてしまったと後悔していく。
そして相手の言いなりになってまた、同じことを繰り返す。
そして私の自由は?この拘束からなんとか逃れたいとまた思う毎日で、それを不満に思うと、
こう思う私が悪いとだんだんマインドコントロールされていく。
仕事も自由にならない、交際も自由にならない、買いたい物も自由にならない。
我慢するのはいつも私であり、相手のやりたいことを許さないと、また私が酷い人になる。
こうやって言葉で拘束され、思い通りに操作されていることに気づけないモラハラがある。
何せ同情を売り物にしてくるから、同情を買ってしまう。
こういう俺に合わせてくれ、そういう君に合わせられないよ、だってそれはわがままなんだから。
「君に愛情があるなら、俺に合わせるだろう?俺はほらみんな間違っていないと言っているじゃないか、俺じゃなくて君が変わらなきゃいけないんだよ」
ということになる。
合せられませんと言えば、なんで子羊の俺にそんな酷いことを言うんだよ。俺に合せてくれるのが愛情だろう?
君はそんなに冷たい人じゃないだろう?となる。
その奴隷を断ち切るには、これまたマインドコントロールから解かなければならない。これが至難の業。
だって断ち切ろうとすれば、相手から「酷いのは君」と言われるのだから。
そして、子羊を見捨てられないと思わせられる。
それでも私が変わらないでいると、今度は低めの態度だったのが手のひらを変えてくる。
いつまで、そんな態度でいるんだよと凄い剣幕になる。いつもこれでDVだったように思う。
そして次はもっと子羊になって「俺が悪かった、酷いのは俺のほうだ、だから、見捨てないでくれ」
と下僕のようになる。涙も流す。おでこを床にこすりつけて謝罪をする。家事も掃除も洗濯も自らやりだす。
かなり反省したかと思って、ありがとう。と言ったとたん、普段の態度になるから凄い。
よくそこまで態度変えられるね?と言えば、だってもう、許したんだろう?と返事が返ってくる。
すべては「自分のための下僕になり、自分のために演技をする」
そして自分に都合のいい女に仕向けて行く。
「変わるのはお前だよ。我慢するのはお前だよ。
だって俺は俺でしかないから、この俺の都合に合せてくれ。そのためにはいつでも子羊になるよ。
そんなのオチャノコサイサイさ」
俺のマュニアルには、同情を売り物にすれば、相手は母性本能をくすぐる。
と書いてあるんだよと言うところでしょう。
できない男は、「相手のできる」をコントロールする。
これを見破るには、自分が自立した精神にならないと見破ることは難しい。
できる男は、できる女を好きになると思います。
できない男は、自分よりできる女になるな。と操作してくる。


