鏡
かつて鏡は隠しておいたほうがいいと書いたことがあったと思います。
もうずっと昔ですかね?
神様も神道は鏡として飾られています。
その鏡です。
見ていくと、瞳を強調してきます。半円になっている瞳です。横から瞳を見ています。
その瞳の半円の部分を真っ平らにしてきます。上から削いだかのように瞳の出っ張っているところを切り落とします。
それが鏡だというのです。
どうしてかの解釈をしていきます。
地球儀を平たい地図にしたのと似ています。球体の周りになればなるほど図柄は見えなくなってしまいます。
球体を平たくすると赤道のあたりは変化ありませんが、北極南極になってくると
かなり図柄が大きくなると思います。
瞳が見ているものも、真ん中のは焦点が合いますが、端の方は焦点がずれているため、ぼんやりしか見えません。
それを鏡は真っ平らにして写すというのです。
だから、気のせいとしてみえていないと認識していても、鏡はそれをちゃんと映しています。
だから鏡は見えない世界を映しているといえるのかもしれません。
その映しているものを見たくないから、隠したほうがいいのでしょうね。
鏡は跳ね返す力があります。結界もですが、自分の身を守る方法としても鏡を使うのは
何となく分かるような気がします。
念は人の心を深く傷つけます。そこに心の鏡があれば、相手の心から映し出す自分がいますね。
相手を傷つけようとしても、傷つくのは却って自分になります。

いつもありがとうございます!
もうずっと昔ですかね?
神様も神道は鏡として飾られています。
その鏡です。
見ていくと、瞳を強調してきます。半円になっている瞳です。横から瞳を見ています。
その瞳の半円の部分を真っ平らにしてきます。上から削いだかのように瞳の出っ張っているところを切り落とします。
それが鏡だというのです。
どうしてかの解釈をしていきます。
地球儀を平たい地図にしたのと似ています。球体の周りになればなるほど図柄は見えなくなってしまいます。
球体を平たくすると赤道のあたりは変化ありませんが、北極南極になってくると
かなり図柄が大きくなると思います。
瞳が見ているものも、真ん中のは焦点が合いますが、端の方は焦点がずれているため、ぼんやりしか見えません。
それを鏡は真っ平らにして写すというのです。
だから、気のせいとしてみえていないと認識していても、鏡はそれをちゃんと映しています。
だから鏡は見えない世界を映しているといえるのかもしれません。
その映しているものを見たくないから、隠したほうがいいのでしょうね。
鏡は跳ね返す力があります。結界もですが、自分の身を守る方法としても鏡を使うのは
何となく分かるような気がします。
念は人の心を深く傷つけます。そこに心の鏡があれば、相手の心から映し出す自分がいますね。
相手を傷つけようとしても、傷つくのは却って自分になります。


