名越先生の講座
昨日都内で名越康文先生の講座がありました。
真面目なのにというテーマでのお話でしたが、先生は瞑想は自分と出会うからやった方がいいといいます。
自分とは、心の内側の自己だというのです。心と自己は違うらしい。
心ではいくらでもなんでも思うが本当の自分はそうではないという部分がある。そこを見なさいと。
自己を見つめた時、怒りが自分の中にあるのが分かったら、その気持ちを解放する方法を見つけないとと言うのです。
怒りは自己破壊になるからと。
そして怒りとは依存心であるとも言っていました。
自分に優しくしてくれる、でもしてくれないから怒る。その怒りは「期待通りでなかった」から怒る。
期待を何もしていなかったら、怒りなど起きない。
例えば夫が自分に誕生日プレゼントをくれると期待する。しかし、夫が忘れていたら、妻は怒る。
しかし、息子が母の誕生日を忘れても、期待はなにもしていないので、怒ることはない。
こういった期待外れが怒る原因の大半だとしたら、その人への執着を消すことや流せる行為ができると、
怒りも起きなくなります。
あるいは、気持ちを落ち好かせ方法がわかれば、怒りもなくなります。
これは私もずっと思っていたことなのでとても共感しました。
そして先生は怒りは「みぞおち」にあるといいました。ここが痛くなったり疼いたりするといいます。
からだの声翻訳をしている私にはとても注意深いです。
みぞおちの意味は「想い」です。
胃は堪忍袋です。この鳩尾に胃があります。
忍耐という事ができていないから鳩尾がうずきます。
からだの声がやはりある・・・私は確信しています。

いつもありがとうございます!
真面目なのにというテーマでのお話でしたが、先生は瞑想は自分と出会うからやった方がいいといいます。
自分とは、心の内側の自己だというのです。心と自己は違うらしい。
心ではいくらでもなんでも思うが本当の自分はそうではないという部分がある。そこを見なさいと。
自己を見つめた時、怒りが自分の中にあるのが分かったら、その気持ちを解放する方法を見つけないとと言うのです。
怒りは自己破壊になるからと。
そして怒りとは依存心であるとも言っていました。
自分に優しくしてくれる、でもしてくれないから怒る。その怒りは「期待通りでなかった」から怒る。
期待を何もしていなかったら、怒りなど起きない。
例えば夫が自分に誕生日プレゼントをくれると期待する。しかし、夫が忘れていたら、妻は怒る。
しかし、息子が母の誕生日を忘れても、期待はなにもしていないので、怒ることはない。
こういった期待外れが怒る原因の大半だとしたら、その人への執着を消すことや流せる行為ができると、
怒りも起きなくなります。
あるいは、気持ちを落ち好かせ方法がわかれば、怒りもなくなります。
これは私もずっと思っていたことなのでとても共感しました。
そして先生は怒りは「みぞおち」にあるといいました。ここが痛くなったり疼いたりするといいます。
からだの声翻訳をしている私にはとても注意深いです。
みぞおちの意味は「想い」です。
胃は堪忍袋です。この鳩尾に胃があります。
忍耐という事ができていないから鳩尾がうずきます。
からだの声がやはりある・・・私は確信しています。


