不器用だからできないという言い訳
不器用といえば確かに「仕方ない」という気持ちになりますね。
でも、狡い言葉だと思います。
不器用なために誤解が生まれる。
不器用なために意思の疎通ができない。
その不器用な人は相手側に更に一層の努力をして、酌んでくれと言っているんですよね?
その努力にも限度があると思います。
底なし沼のようにまだか、まだかとなれば、酌むことがいつか嫌になる。
不器用な人はいつも通りに不器用だからで通用する。
でも、本当の不器用な人は、「不器用と言えない」人なのです。
そういう人は相手の不器用に振り回され、ヘトヘトになり、まだ終わりがないという状態でも、相手は知らん顔で「不器用だから」と言い訳される。自分より先に「不器用だから」と言われてしまう。
「自分の方がもっと不器用なんだよ、もうやめてくれ~」
というのは潜在意識だけで叫んでいる。
顕在意識では、自分がもっと頑張らないといけないのかしら?と不器用ながらも努力しています。
振り回されている方の努力不足ではありません。
対等な立場になっていないというだけです。
不器用だからといって傍若無人に振る舞う性格の人に、恐らく誰もがその人に合わせる事ができないことでしょう。
そして「不器用だ」と不器用すぎて言えなかった人も努力が足らないのではありません。
親を求める付き合いしかできない人とパートナーとして必死に不器用でも努力した人との関係だったのです。
「求めるパートナー」が違うのです。
不器用だという言い訳する人は、思いやりや親切を含んでいるとは思えないです。
自分は何をしてもいいんだ、だって不器用なんだからとしか聞こえない。
本当の不器用な人は「不器用すぎて、不器用とすら言えない」のです。
傍若無人に訊ねたい、そんな自分とそっくりな異性だったら、「その相手を好きになりますか?」「面倒くさくて好きになれない」というのなら、他人もきっと同じ気持ちになることでしょう。
少なくともそう気づいているならまだ救われます。
不器用で不器用とすらいえない人に言いたい。
その必死で生きていく力をもっと自分に優しくしてくる人に注いでほしい。
自分を責めるのをやめてほしい。


