隣の人を見て羨ましい、狡い、酷いという時
隣の人を見て羨ましい、狡い、酷いという時
自分と比べて相手が良い環境だと思うからです。
自分しか知らない世界なら、自分の基準が普通であり、もっとという気持ちは浮かばない。
しかし、良さを知ると羨ましくなり、妬みが生まれ、不公平だと文句を言いたくなる。
その気持ちの発端は相手のせいではなく、自分の心が生んだもの。
何もかも今の環境が身分相応で、自分に合っているのだと思えばこそ、他者への反抗心も生まれない。
不公平だと嘆く前に、自らの今の環境に満足する事のほうが幸せは手元にあるもの。
今の時代は何故か相手を虐げて自分の実力を誇示する時代になりました。
誰かさんに負けるものか、とか、不平不満を並べて、悪いのは自分ではなくて、他人だから。競争して勝った良かったと思う人たちを作っているような気がします。
人はみな同じ、ほんの少しだけ求めるのが違うと思えば、もっと自由で、もっと助け合うような気がします。
空海と気持ちを共にしようと瞑想する時、こんな会話をしていました。


いつもありがとうございます!
自分と比べて相手が良い環境だと思うからです。
自分しか知らない世界なら、自分の基準が普通であり、もっとという気持ちは浮かばない。
しかし、良さを知ると羨ましくなり、妬みが生まれ、不公平だと文句を言いたくなる。
その気持ちの発端は相手のせいではなく、自分の心が生んだもの。
何もかも今の環境が身分相応で、自分に合っているのだと思えばこそ、他者への反抗心も生まれない。
不公平だと嘆く前に、自らの今の環境に満足する事のほうが幸せは手元にあるもの。
今の時代は何故か相手を虐げて自分の実力を誇示する時代になりました。
誰かさんに負けるものか、とか、不平不満を並べて、悪いのは自分ではなくて、他人だから。競争して勝った良かったと思う人たちを作っているような気がします。
人はみな同じ、ほんの少しだけ求めるのが違うと思えば、もっと自由で、もっと助け合うような気がします。
空海と気持ちを共にしようと瞑想する時、こんな会話をしていました。


