幸せの作り方
私が母親になった時、母の本当の気持ちを理解しました。


いつもありがとうございます!
こんな話ができるのも、昨晩生徒さんと2時間も親への気持ちについて尋ねてくれたからです。
そうじゃないと考えることも無かったかもしれません。感謝しています。
母が私につらく当たる理由
母は父の気持ちを繋ぎ留めておく道具に私を利用していたと考えています。父が生きていた頃は母は父の前では私を叱りません。何をしても叱りません。父も私を叱りません。でも、父がいない時はよく叱られていました。叱られている理由が分からず、泣いてばかりいたのを思い出します。
父は母を嫌っていました。嫌われる母は「嫌われる理由」を理解しようとするのではなくて、「娘がいるから、離婚しないだろう父」「父から愛されている娘」がいる限り自分は捨てられないという考え方の人でした。
そして嫌わている母は父から叱責は当たり前でした。私には怒らないのに母には凄い検満で叱っていました。母が怒るとしつこくいつまでも小言をいっています。父のちゃぶ台ひっくり返しはよく見ていました。
そしてその後、母は私に意地悪をしていたんでしょう。私に八つ当たりです。
そんな日々で母の意地悪の理由が分かってきました。私が嫌いとかじゃないんだ。道具なのに、自分より幸せになるなんて。という嫉妬の気持ちから私に意地悪したくなっていたんだと理解できます。凄く凄く腑に落ちます。
父が亡くなってからの母は私を叱る事しかしなくなりました。何をしても叱らないなんてところは無くなります。父がいる時の母はもういない。
父の顔色をうかがいながら生きていた母、その父を繋ぎ留めておく道具が私。
その父が居なくなったんだから、私は母より幸せになっていると悔しくなるのが露骨だっただけだったんです。
だから、父が居た頃に戻りたいという気持ちがモヤモヤした母への愛情があった頃と錯覚していたのかもしれません。
人の裏を母は見せてくれていたと思います。綺麗ごとでは言い尽くせない位色々思います。
それでも最後に考えるのは母と顔を合わせて喧嘩する元気があるうちは多分会うことはないと思います。
でも、母が私に八つ当たりができない位になった時、色々な意味で別れ方を考えたいと思います。
「卒業」という気持ちになるまで、「やりつくした」と思うまで、とことん付き合う時期がくるんだろうなと。
もしも、その別れがあっけなかった時、きっとリーディングしながら母と本当の会話ができるのかもしれないと考えたりします。
母が不幸だったのは「自分が嫌われるような人間だった」という自覚がないところです。
まわりをいつも悪者にしていくから母は常に自分は不幸だと感じていたと思います。
不幸な人は「他人が自分にしてくれることで幸せを計っている人」というのを教えてくれました。
母は父が全てだったんでしょう。父に愛されることが全てだったんでしょう。
母ではなくて妻でいたかった母でした。愛する事が出来ない人もいるんです。
もしも、母に愛されたいという気持ちで母と接していたら不幸だと思います。
これは他人も同じですね。
自分がしてきたことは他人は覚えています。そのまま返ってくるんです。
愛を計るためにする意地悪が存在すのなら、そのまま意地悪だけが返ってきます。
相手から、そして他人から。自分を捨てていないから。
最近よく思います。
人の為って「自分」がそこにない。自分を捨てるができる人です。
分かる人にはわかる言葉だと思います。
多分、「幸せの作り方」が分かるようになります。
分からない人は、きっとぼんやり「ふーん」と感じていることでしょう。


