追いつめられる気持ち
問い詰められる


いつもありがとうございます!
追いつめられる
逃げ場を探す。
その結果「逃げ場がない」という結果を自分で出したとき、精神的に自分で益々追い込んでいきます。最悪の状態を想像して苦しくなっていきます。
逃げ場を見つけられる人は口が達者、嘘が通用する。しらを通せるなどですね。
それができない時、逃げ場のない環境すべてが死と結びつくくらい追い込んでいきます。
閉所恐怖症などがいい例です。閉じ込められて逃げ場がない逃げなきゃならないのにどうしよう💦
ある人は空気がなくなる。死んでしまうと想像して恐怖の思考をしていきます。
そういう人は、問い詰められる、叱られる、責任を負わされるなどに恐怖を持っているように思います。始終「自分は悪くない」という会話。すみませんが、頭悪いとしか思わない。
その言い訳をいうのに、根底に自己嫌悪を持っているのではないでしょうか。「こんな自分なんか」をなんとかしたいけど、してもまた失敗して責められる。
私は、ともかく等身大になる事だとおもいます。
失敗しない方法を考えて背伸びする姿は痛々しい。
それより、人は失敗したとき、どう立ち直るのかを見ているのではないでしょうか。
強い人から学びましょう。
他人はいつ敵になるかわかりません。他人の態度で一喜一憂するのではなくて、「こんな自分でいいんだ」という風に受け入れてみましょう。
他人に言われることは他人の基準で言われている訳です。
他人は「自分の思い通りになっていない」からダメ出しするんです。
自分の思い通りって何だろう?
他人の思い通りに一喜一憂しているより、自分の思いどおりをしたいと考えたとき、もう一歩すすんで「他人の立場で考えられる」思考力の方も必要になります。
責められないように、追いつれられない様に他人とかかわるのではなくて、相手の心とのかかわり方が問題なんだということを学んでいかないとならないのではないでしょうか。
結局責められない様に、追いつめられない様にと考えるのは、他人の事より自分の事しか考えていなということに結びついています。
何故問い詰める。何故責める。それは相手の立場からの意見があるからです。それを何かと考えたことはありますか?
相手の立場にたてば、あなたの行為が迷惑とか、傷ついたとか、顔をつぶされたといった何らかの意味が含んでいるかもしれません。相手の気持ちについて考えてみましょう。自分がもし相手の立場で、あなたの行為をされたらどんな気持ちですか?
もしも、嬉しいと思うなら、間違っていないのであれば、相手との相性が悪いのです。
自分も嫌だ~と思ったらそれは気づきです。次はそれをしない。それでいいのではないでしょうか。
自分の事しか考えていないから、失敗して、問い詰められて、責められて、自己嫌悪になっていくそんな感じがしてしまいます。良いと思ってやったのに、それは自己満足かもしれません。
自己満足だけの尺度の会話で話す人はいつも自分の基準の気持ちの話ばかり。
それがパラドックスになってしまうのです。


