態度に現れる

生徒達によく「氏神様にお参りに毎日行きなさい」と言っています。

何故ならリーディングという方法はビジョンを見て解釈する方法をとっていて、すべてに感謝の気持ちを伝えに行くという事をしているからです。

リーディングするときはビジョンを見せてくださいと言いながら、見せてもらうのであって、感謝はそっちのけではいけない。
勿論誰が見せてくれているかは知りません。それを私たちは神と呼んでいるにすぎません。

少なくとも見えない世界に感謝を直接伝えるとしたら、近くにある神社の氏神様が一番感じます。

家に住み、土地の水をいただき、生活できるお金が入ってきます。そして何より、リーディングにビジョンを見せてくださる方がいます。
この時、見せていただいたという、謙虚な気持ちなのか、見せてもらって当然、自分はできる、すごいぞと思うかの分かれ道です。

見せていただいている感謝の気持ちを現わせている人は相手の気持ちを酌んでいく事ができる人なので、解釈がうまくなります。
神社に行くのが面倒、今日は時間がない、忘れていた
などと言い訳で行かない理由を言う人は「他人より自分を優先している人」と言えます。

ビジョンを見せている側になると、感謝も挨拶もない と思う事でしょう。人間世界でも同じではないでしょうか。
自分を優先するような我を通す人に解釈ができるとは思えません。

傷つけられたという、受け身の問題とは全く別問題です。でも、こう思う癖の人も我ばかりだと言えるのです。
何故なら、「自分は悪くないのに、言うほうが悪い」と言って相手の気持ちはまるで無視だからです。
他人が悪いだけの思考はストップの思考になるだけです。

そういう人は他人の気持ちを無視しているので、解釈もストップします。

リーディングは他人の気持ちを酌む仕事をしているからです。

ビジョンが見えたとき「自分と見せてくれた側」とのコミュニケーションが必要になります。
この時、見せてくれた人の気持ちにならないと解釈ミスをしてしまいます。

こういうのはリーディングに限りません。日常でも相手の気持ちにならないと仕事でも友人関係もうまくいかないと思います。

そういえば、「仕事を成功させている人は神社にお参りに行く」というのを聞いたことがあります。
スピリチュアルを認めている成功者は多くいます。

その人達はたぶん、人の気持ちを酌める人です。
自分のことばかり考えている人は失敗します。会社でも、仕事の上でも、人間関係でも。

人の気持ち、神様の心を理解した時、自分優先にしていたら、リーディングはできないとわかるはずです。

リーディングの最中「自分を消す」ができないとなりません。

自分とは、自己主張、自己満足、思い込み、好き嫌い、悪いことは全て誰かのせい、自分に合わせろ、都合の悪い事は無視など言い始めたらキリがない。

そういう人は鼻の具合も悪いし、ビジョンの解釈もできない。自分が消せてないから他人からや見えない存在の小さな電気信号を受けそこなう。相手が悪い、自分が正しいという人に聞く耳などあるわけがなく、その姿勢は全てに影響してしまいます。

教わるのは当然でも、感謝や一語一句聞き逃しません、見逃しませんという姿勢にならなければ、謙虚とは言わない。
謙虚になれない人はリーディングはできるようにならない。

 神に教わるは、先生に教わるという姿勢と同じ態度

その神の傍に立って、すべてを見逃さないようにしようとする姿勢は、現実でいう教えてくれる先生への態度と同じであると思います。

Comments 4

レイコ  

神様に頭を垂れる、感謝の気持ちを行動にすることを、こちらで教えていただきました。

今日ひいた氏神様の御神籤に、
「ものを無駄にする事は、神の作ったものを粗末にするのと同じ。人も同じである。人をいかさないのは、神様の作ったいのちを無駄にするのと同じ。」
と、書いてありました。

人材育成が課題の私には、ガーンと来るお言葉でした…

みんな神様の作ったいのちなのですから、大切に育て、それぞれの良さが生きる場所で、しっかり働けるようにしないとなりませんね。

修行だなと思いました。

2018/03/12 (Mon) 22:55 | EDIT | REPLY |   
ゆうこ  

私は近頃、今ここでこうしているのは、
人があずかり知らぬ大きな力によってこの場所でこうさせられているのだと感じています。

一つ一つこの中で自分が変わっていく術を学べと言われている気持ちで過ごすようになりました。

与えられた中で一生懸命生きることは、こうして生かされていることが偶然なんかではないと思えてきて、感謝が浮かんできます。
すると、この与えられた中で自分に出来ることはなんだろう?と思えてきて、その中で自分のチャンスの元になるものを探そうとします。

一度きりの人生。無駄なく悔いなく過ごすためには怠惰に流れてはならないと思うようになりました。

2018/03/13 (Tue) 07:41 | EDIT | REPLY |   
笛野はすな  
To レイコさん

大変な仕事ですね。教育というのは子供も大人も「される側」は相手に文句をいい、反感を買います。
「させている側」はどう言えば響くのかと苦悩しています。
やる気にさせるという事の難しさを感じますね。できないんだと諦める前に自分は力を尽くしたのかと振り返ることしかできないのが「させている側」なのだと思います。力を尽くしてください。陰ながら応援しています。

2018/03/16 (Fri) 07:53 | EDIT | REPLY |   
笛野はすな  
To ゆうこさん

楽をしようとするのは、努力しない、面倒なことはしない、結果を求めないとなります。
これは無責任でいられるための行為です。

要領よくするとは、無駄を発見し、いかに能率よくできるかを考えることだと思います。
やる気は他人のために自分が必要とされている事を理解した時に初めて責任ができ、やらなければとなります。

責任者がやることと無責任者のやることは自己中心な考えなのかの分かれ道となります。

2018/03/16 (Fri) 07:59 | EDIT | REPLY |   

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