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悪口の裏には期待がある

悪口を言う時、相手に対しての想いがある。
恨み事、からだに痛みが出るほど文句があるとき、その裏には「期待」があったからである。

やってくれるだろう、わかってくれるだろう、受け入れてくれるだろう、私の味方してくれると思っていたのに、思い通りに動いてくれなかったという気持ちが発端で裏切られた気持ちからの憤りだと言える。

そこには依存が関係してくる。
依存症の人は必ず人のせいにしたがる。何せすべて自分の物差しがあって、その物差しは頼れる人、頼れない人、味方してくれる人、してくれない人の基準になっている。

その頼れる人、味方してくれる人だと思っていたのに、「違うじゃん」となるから頭にくる。

違うと分かったら、あとは自分の自立しかない。
頼れないんだと理解することが先決であって、悪口や文句は何も解決にはならない。

むしろどんどん悪いエネルギーが近寄ってきて、益々悪いことが重なる。
それは誰かのせいじゃない。自らが招き寄せた不幸なのである。

どこか痛くなれば、病院へいく。お金も出ていくばかりで入ってこない。
考えてみればそりゃそうだ。
痛みは自分が悪いところを教えるもの。
お金も人が出したいと思うから出るのであるお給料もしかり。
人の役に立たない人にお金があるわけがない。

勿論相手からの想いが痛みになるのもあり得るが、違う場合も沢山ある。
他人の念からだと決めつけて自分は悪くないと決め込む人がいるが、そこも違う。
自分の考え方を変えなきゃならないと頭を変換させないとならない。

早道は自立の考え方をしていけばいい。

人は誰かと協力しないとならないのだが、協力という大義名分の依存がある。
役に立たない、足をひっぱる人を協力とは言わない。協力とは、お互いに別々の事が熟知している人同士が補い合う事をいう。
補うものがないのに協力するということは、何を意味しているのだろうか?吸い取るだけである。

自分が何か役に立つことができるという人が他人もあなたを必要としているのである。
相手が必要とされる人になる。これが一番大切な事。

自己満足の思い込みから発生した「行為」に私は偽善なのだと思ってしまう。
だから、他人の為に行動するという気持ちが生まれたとき、家族は協力しあうもの。
それは自立した者同士ができる形だと思います。

どちらかが依存していたら、思い通りにならない相手に対して、なじりったり、文句言ったりが始まると予想する。
そんな暇があったら、他人に役立つことを一つでも多くしたらいいのに。

Comments 2

くぅ  

先月、今回の記事のそういう部分にふと気づいて、はっ!となってしまったばかりだよ。
私は今まで何もわかってなかったわ。

2018/11/03 (Sat) 10:41 | EDIT | REPLY |   
笛野はすな  
To くぅさん

新たな気づきがあったという事は成長をあらわしています。気づいたら行動も変わるもの。是非報告していただきたいと思います。

2018/11/04 (Sun) 01:36 | EDIT | REPLY |   

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