虚無感
なんとなく、不安、ふと自分は誰かに必要とされているのだろうか?
自分は何に向かっていくんだろう?
生きているという目的はなんだろう?といった虚無感が起きる50代がやってくる。
何故こんなに自分がないんだろう?
実は「暇」がもっとも不幸なのである。大変なのに充実していたのは、暇がないほど忙し方からだ。
暇の時の思考は実はネガティブ思考になっていく。
このまま自分が他人から必要とされていないのなら、いっそ消えてしまいたいとまで思い詰めていく。
いやいやいや、怖い怖い。
それならと始めた習い事や趣味の毎日で外に出て行ってはまた、コミュニティってこれもまた大変と思ったり。
なんとなく張りがない。
これで良いのだろうか?と思ってみては、こんな考え事やめようとテレビをつける。
そんな毎日を過ごしていないだろうか?
自分と向き合うのを避けてきた結果とも言える。
人の為に何でもやってきて、自分の事をそっちのけで主婦業優先にしていたために自分を忘れていた。
今からでもいい。
まずは、自分に向き合おう。
活き活きとできる何かを自分で見つけよう。自分を必要としている何かをみつけたらいい。
ここで、面倒だ。テレビ観ていたい。「楽」したい。何もしたくない。そう思った人は、虚無感に浸りたい人だ。
気持ちだけは何かしたいのに、行動に移せない人だ。
行動力が出ないのなら、頭を使おう。私も運動しなきゃと言われていても、分かっていても出来ない。
買い物で歩くことぐらいしか思い浮かばない。
歩く目的がないと、ただ散歩しろと言われても時間の無駄と考えてしまうので出来ないのである。
新しい発見を探しに散歩とか・・・何か目的がないと続かない。その新しい発見が毎日ないのなら、やはりこの目的じゃ続かない。
考える力をつける事。体力をつけられないのなら、脳みそに筋肉?をつけよう。
例えば「運動しないと体力が落ちる」であれば、数歩でも負荷をかけて筋トレしているかのような歩き方にする。
部屋の中で歩くにしても御尻に力をいれて、綺麗な歩き方を意識するとか。スリッパもかかとが半分のとか。
どこかに緊張感をもたないとダラダラとした体になるのは当たり前。
脳みそも緊張感をもたせないとならない。自営の人は頭を使っているので、結構ボケない人が多いと言う。
「楽」をしようとサボる人は、頭を使う事がない。これはやばい。虚無感を感じているのも結局「脳」である。
何もしていない今この時間は何分残されている?果てしない時間なのか、限られているのか。
自分が生きている意味ってなんだろう?
生かされている理由があっていいはず。
まずは自分を見つめてみよう。誰かに答えを聞くのではなくて、自分で何かを決められる自分になる。
そこから何事も始まるような気がする。
今までご主人にゆだねてきたのなら、これからは自分で判断して、自分らしくいきる事をしていこう。
人のお金だから遠慮があるのなら、自分でお金を作ればいい。時間を作ればいい。
さて、どうやって?
それこそ、自分で考えてみよう。考える事は脳を鍛えることになる。
誰かに決断をゆだねていたから、自分一人で何も出来ないのである。
自分一人でも、楽しく生きるとは、自分で判断し、決断できる人になっている事なのである。
何事も「考える」は脳を刺激して楽しみ方を知っていく。
私も今日は一日、フリーだ。こんな日、一年間に何日あったろう?と思ってしまう。
さ、何しよう・・・本を読む時間ができた。ゴルフ練習場にも行ける。それもたぶん数時間でおわる。
そして、私はたぶん仕事をしていく。暇はない。何せ好きな時間が仕事なのだから。
風蓮の宝石箱のアップロードを楽しみにしている人がいると思うとやっぱり仕事が優先になる。
私は暇を作らない。


