親の虐待
そんなネガティブな話をしていいものかと思ってしまう。
94歳になった母はわかっている。自分が子供を虐待していたという事実を。
だから、私に今は喧嘩を吹っかけてこない。これは本当にありがたい。
いつも怒鳴って、「うるさいね~」というのが口癖の母を思い出す。
その時の顔は、般若の顔になっていた。泣けば泣いたで、意味わからずお線香で腕に火傷をさせられていた。勿論叩かれるなんて日常茶飯事。泣きわめけば火傷。出先でも外でも泣いていたな~。自分でも、よく泣いていたと思う。声上げて泣くと怒られるから、しくしくとなく事を子供の時から知っていた。勉強していても、夜遅くまで起きているだけで叱られていた。
大人になるにつれて、その不条理な態度を理解していた。逃げるように家を出た。
私は父が大好きだった。
困ったときには父と話をしていた。家に帰らなくなった父だったが、やはり母より父の方が心は優しかった。
父が家に帰らない日々が数年続いた時は地獄のような日々だった。八つ当たりされていたのだろう。
そんな親に育てられている私は早く結婚したかった。まだ子供だったのだろう。愛に飢えていたのだろう。
愛なんて言うものを理解することもなく結婚した。私に優しくしてくれる人なら誰でもよかったのかもしれない。
その愛を知らない私はまた悲惨な人生だった。
今振り返ってみても、前半の人生は酷かった。50歳を過ぎてから人生が変わった。不思議だ、今はもう人生の後半に来ている。
やっと自分らしく、自分がやらなければならない事を見据えてくるようになってきた。
今になって夢中になってやってきたことが、形になってきた。41歳から自分の力で、自分らしく何ができるのかという事を考えるようになっていた。
それを考えながら、設計図を今でも書いている。
100歳まで生きる人生、この先も私は子供達がいても一人で生きていくのだろうという事を考えながら生きている。
まだ高校生の子供がいる。30歳の子供も同居している。勿論家にお金など入れない。勿論っていうのも変だが💦
楽して生きていこうという事は多分できない。
でも、今は充実していてる。忙しすぎる毎日だけど、嫌なことを考えている暇もない位忙しい。
スケジュールが「今日はありません」という日がこの一年間で何回あったのだろう?
物忘れがだんだん多くなってきたのが困っている。記憶しようとしていないのか。はたまた痴呆症なのか。
書いておくという事が必須だ。
最近では毎日のスケジュールをこなしているという感じである。面談や授業か、イベントに出ている。
明日もイベントがある。その準備をしなければならない。
横浜青葉台駅、スクエア1-5F
フィリアホール区民企画事業 あおば ゆかいな秋フェスタ
明日ここでイベント出店している。
500円の手作りアクセサリーの販売やリーディングなどを行っている。
今日は準備、明日が本番。
お近くの方、面白いイベントなので是非見学にでもいらしてほしいが、500円チケットが必要なのが残念ですね。


